「生きなおすのにもってこいの日」という田口ランディさんの本を読みました。Amazonから届いたメールでタイトルに引かれて買ってみたのですが、いい本です。読んでみてください。
以下、ちょっとした雑談。最近自分が書きたかったことです。
最近、自分の中では変化がありました。前も書いたのですが、「しょうがない」ということを素直に受け入れられるようになった。
これは西原理恵子さんが言っていた言葉ですが、「しょうがない」を受け入れられるかどうかは、受け入れてもいいな、って感じるかどうかは僕にとって大きな変化です。
小さいころは身障者の弟の養護施設に行ったり母親の入院等で家で一人でご飯を作り食べたり。
大学は家に迷惑をかけてはいけないから受かっていた私大は止めて国立にしたり。
大学院に無試験で行けたのですがやはり迷惑かけちゃいけないから就職したり。
就職先は都会に行きたかったけど松本の会社にしたり。
新規の仕事で東京に出してもらったけど家の都合で無理やり松本に返してもらったり。
など、書ききれないほど。自分の置かれた環境を恨むことは日常茶飯事でした。
だいたいふつうの家庭感覚を知らない。ふつうを分らないくせにふつうの人たちの暮らしを羨んだりしてきました。
一緒に暮らした時期もありますが、今は別のところに住み、たまに実家に帰り母親に会ったり、年に数回帰ってくる弟に会いにいったりしていました。今、自分がある程度お金を稼ぐようになり10年経ちました。
デイサービスの施設に通う調子の良くない母親やその面倒をみている父親、グループのホームで一人で暮らすようになった弟を見ていると…
ひとつの思いに至りました。
結局、理想像という姿からは離れていきます。誰も変わってくれないし、変わらない。昔は自分のしたことに対して適切な答えがでてこず、それにイライラし世の中すべて大嫌いだったわけです。被害妄想ってやつ。
でもね、最近なんか違うんです。
自分ができることは限られているし、むしろそうやってあれこれ言ったりやったりしていることは自己満足の範疇。理想を押し付けて、その理想押し付け作業をしている自分に酔っているだけな気がします。
実は世界はもっと柔軟。
弟はひとりで暮すようになりました。グループホームの先生方が見てます。一生困らないほどのものがあり、私には何も負担がこない。彼の居場所はそこでしょうし、言葉がしゃべれないので正確にはわからないけど、そこは彼が大好きでしょう。僕はそれを見守るだけで十分。壁際からたまにちょこっと覗くくらいの距離が一番。
母親もなんであーなんだ、って思ったり、父親もなんであんなに独善的なんだ、と思っていたのですが、、、きっとそれは夫婦で生活したきた結果なんだし、その相手を選んだので仕方ない。母親に良くなってほしいと思いしていたことは、実は母にとってはハタ迷惑でどうでもいいかもしれません。どうであれ、これからは夫婦の問題である気がして、横槍を出すのは違う気がします。
そう、みんなの人生。それはなんであれかけがえの無いもの。
今は、その考え方があり、しょうがないって思えるようになった。
だからなんか言ったりした時に、あれ、これって独善的かも、って思う余裕ができた気がします。
僕は僕のことをまず考えて、たまに休んだり散歩したりしながら、ほんと壁穴からちら見するくらいの付き合い方が自分の家庭との向き合い方なんだなって感じました。
まあでもまだまだ、やっと意識できたレベルだから、まだ10年ちかくはきちんと咀嚼できるまでかかるかもね。
今自分が考えたこと、それは水たまりに落とした水滴の波紋が広がるように、将来の僕に影響をあたえていくんでしょうね。
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